2012年2月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29      

雑草の魂

この時期、毎日のように境内の草刈や、枝打ちをしています。

刈っても刈っても、数日のうちにはまた伸びている「雑草」と言われる生き物の生命力や成長の力には驚くばかりです。我々の生き方について見習うべきところがありますね。

また、そこには何千年という時の流れの中で受け継がれてきた種があり、成長に適した日光、温度、空気、土、水などに恵まれるという、人間の技では作ることの出来ない崇高な営みが行われているのは言うまでもありません。

我々は種を因、日光や水などを縁と呼び、命をいただいている一生に於いて、この因縁の大事さを決して忘れてはならないのです。因だけでも、縁だけでも上手くいかず、因と縁が絶妙に合わさりあうことが何よりも必要なのです。

自らが因となり、また他のために縁となる。そして雑草のように強く生きていく、そんな人になりたいものです。

お釈迦様の言葉より

過去を追うな。

未来を願うな。

過去はすでに捨てられた。

そして未来はまだやって来ない。

だから現在のことがらを

それがあるところにおいて観察し、

揺らぐことなく動ずることなく、

よく見極めて実践せよ。

ただ今日なすべきことを熱心になせ。

誰か明日の死のあることを知らん。

心の行方

 ここ最近というかずっと、新しい記事を書けずにいました。PTAやまちづくりといった活動が多かったということもありますが、それも含めたくさんの人々と出会う中で、一体何をどう伝えたらいいんだろう・・・という出来事も多くあったからです。

 たくさんの情報が溢れるほど周りにありますが、ほとんどが、あるいち部分であったり、表面上のことであったりで、真実やひとつの事柄の奥深いところは何も知らないということが多くないでしょうか。なのにすべてがわかったような思い込みをしていないでしょうか。そんな時に、ちょっと深いような話しを聞くと、「あ、そこまでは知らなかった。まさしくその通り!」と、感動してしまい、その中に入り込んでしまった・・・。そういう人と何人も出会いました。またそんな人たちの多くは根が真面目というか純粋で、一生懸命に私にもその話しをしてくるのです。どれも心の中のことや環境問題のことが始まりなのですが、最後はどこかの団体に行き着くか、マルチ商法的な話しがくっついてくるかなのです。

 どの話しも冷静に聞けば、あそこもここもちょっと・・・ということがわかるはずなのですが、ある部分には信じたくなる事柄が入っていて、その小さなひとかけらに心を取られてしまうのでしょう。また、信じてしまった後では、こちらが何を言っても、もう聞く耳を持てなくなってしまっています。なんとかしてあげたい気持ちはあるのですが、言えば言うほど逆効果になってしまい、こちらが落ち込んでしまいます。

 でも、落ち込んではいられません、どこかに答えはあるはずです。これからの課題として取り組んで行きたいと思います。

知って欲しいこと

 Dsc00160_2

思い出を胸に、新たなスタートを迎える皆さんに知っておいて欲しいことが三つあります。
① 自分を知る
② 周りを知る
③ 宇宙を知る
そんなこと既に知っている、と思うかも知れません。でも、果たして本当にそうでしょうか?まずは、自分のこと。何が好きなのか、夢は何なのか、どんなことが出来るのか。十代の後半はどんなことも純粋に向かい合うことが出来る時です。その分葛藤も多いでしょうが、どんなことでも自分の中に吸収して、今まで知らなかった自分と出会ってください。
 そして、周りのこと。家族や友人、先生や先輩など自分の周りには、気付かなくてもいろいろな人がいます。現代は人との関わりを持つことを苦手とする人が多かったり、自分さえ良ければそれでいいと思う人が目立ったりします。しかし、どれだけのことを周りの人に助けてもらっているか、支えになってもらっているか、まだ感謝の気持ちを持てと言うには早いかもしれませんが、知っては欲しいと思います。
 最後に、宇宙のこと。大きすぎてピンと来ないかもしれませんが、私たちとの関わりはとても深いものです。水や空気や光、様々な生き物や植物など無くてはならないものばかりで、どれもかけがえの無い私たちの命と同じです。また、宇宙の大きさや時間の流れを考える時、自分の悩みや、人との争いごとがいかに小さいものかも知ることが出来ます。
 これら三つのことを知り、それが自分の中でしっかりとつながった時、本当の幸せや生きることの意味が見つかると、私は信じています。(広報誌に掲載したものから抜粋)

そんなつもりじゃなかった・・・

 人に対して嫌な思いをさせてしまったり、傷つけてしまったりした時に、よく聞かれる台詞ですね。誰しも一度や二度言われたことがあるか、もしくは自分で言ったことがあるという経験があるのではないでしょうか。「そんなつもりじゃなかった・・・」私はこの言葉ほど思いやりのないものはないと思っています。(少し大げさですがね。) というのも、言われた或いはされた人にすれば、間違いなく嫌な思いや悲しい思いをしてしまったのです。そんな気持ちを汲み取れず、相手に対して申し訳なかった、という気持ちよりも、「自分は悪くない」という気持ちの方が強いために発せられる言葉だからです。もちろん、意図していなかったのに結果的にそうなってしまった、ということはよくあることです。でも、そこは自分のことよりもまずは相手の気持ちを察し、自分が悪かったと潔く認め謝るだけの気持ちが欲しいものです。それが人としての温かみであり深みであるのではないでしょうか。